不思議の国のことを忘れかけてきたころ、アリスはまた奇妙な生物を見かけた。今度もうさぎだった。ただし今度のうさぎは、頭だけがうさぎだった。首から下は人間と同じ形をしていた。だからアリスはその生物のことを「うさぎ人」と呼ぶことにした。

 うさぎ人はメタリックな箱に喋りかけながら、足早に歩いていた。どうやら森へ向かっているらしい。アリスは気づかれないよう、こっそり彼のあとをついていった。

 木立の合間の少しひらけたところまで来ると、彼は立ち止まった。そして、注意深く辺りをうかがったかと思うと、さっと藪の陰に身を隠してしまった。

 アリスは慌てて彼を追った。けれど、彼の消えた藪の裏をのぞき込んでみても、うさぎ人の姿はなかった。

 ふとアリスは彼の消えた辺りに、丸い影のあるのを見つけた。底も見えないくらい、暗く深い穴――――きっとうさぎ人はここに逃げ込んだのだろう。アリスはそう考えた。

 アリスは迷わなかった。穴の深さや、飛び込んだあとのことは、一切考えなかった。この間のように、この穴を通ればどこか不思議な世界へ行けると、信じて疑わなかった。

 ところが数分経っても、まだアリスは森の中にいた。

「どういうことかしら」

 アリスは首をかしげて、自分を飲み込んでくれない穴を、もう一度踏みつけた。すると、踏み慣れた土の感触が返ってくる。紛れもなく大地だった。どうやらこの黒い円は穴ではないらしい。

 なら、これは一体何なのか。アリスは答えを求めて、何度も地面を踏んづけた。 そうしているうち、変化が起こった。地面から何かが飛び出してきたとか、地盤が落ちたとか、そういった類のことではない。アリスの身に起こったのは、もっと奇妙で、致命的な変化だった。

 アリスは地面を踏もうとした。しかし実際には、靴底は大地に届かなかった。アリスが悪いわけではない。どんなにがんばっても、靴底が地面と反発してしまうのだ。

 そのうち、もう一方の靴もへそを曲げてしまった。アリスは風船のように空中に漂う恰好になった。どうにか降りようとしてみるけれど、反重力は強すぎた。アリスの意に反して大地はどんどん逃げていく。

 アリスはじたばたしながら、ふと天をあおいでみた。よどんだ鉛色の空に、無機質な円盤が漂っている。窓らしきところからは、うさぎが顔を覗かせている。彼らはつぶらな黒目を細くして、間抜けな地球人が釣り上がるのを、今か今かと待っていた。


【END】


2011.11.28
2019.6.24(改)

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